一見、普通の町家かと思う情緒ある佇まいの「紫織庵」。実はめずらしい長じゅばんの美術館です。

今回は、長じゅばんのお話ではなく、「紫織庵」の建築物としての価値を再認識し、その歴史的変遷や近代建築にみる「和と洋の融合」について辿ってみます。

「紫織庵」の建物は、平成11年に京都市の指定有形文化財、京都府医学史研究会跡に指定されました。

いわゆる「うなぎの寝床」とは異なる「大塀造」と呼ばれる、ゆったりとした間口の広さが特徴です。

そもそも住まいとしての伝統的な町家は、「大塀造」が通常でしたが、今ではほとんど残されていません。

江戸時代後期、名医・荻野元凱が初めて医院として開業したのがこの建物だったそうです。

明治時代まで、荻野医師の子孫や門弟の教育所として使用されてきました。

大正15年、当時の豪商であった四代目井上利助氏が、外観はそのままに、洋間を加え新築に着手。

洋間は、京都帝国大学建築学科初代教授であった武田五一氏が、当時、帝国ホテルの新館を手がけ注目を浴びていたフランク・ロイド・ライトの建築を参考にして設計。

その後、川ア家の住宅として使用されていました。

今世紀最高の建築家と称されるライトの様式は、計算しつくされた壁面装飾など、今なお斬新な印象を受けます。

情緒たっぷりの格子戸を開けて中に入ると、エントランス部分にやや洋の雰囲気が漂います。

玄関を上がると、町家の室内とは思えないレトロで洗練された洋室に。

1階の洋間は、旧帝国ホテルと同じ石灰岩とタイル貼りの外壁、内部は濠天井に寄木貼り床。

暖炉は電熱式で、内装の木材はチーク材を使用し、重厚感に溢れています。




1階は洋間の他に茶室、客間、仏間と中庭があります。

和室、茶室を手がけたのは、明治から大正期にかけて、数奇屋の名工と呼ばれていた上坂浅次郎氏です。

前庭に面した長四畳の茶室は、点前座には北山杉の中柱が立ち、雲雀棚があります。

広縁から庭園を眺めるのも格別。

縁側の美しく磨き抜かれた窓ガラスは、建築当初のままの「波打ちガラス」で、一枚も破損していないそうです。

客間、仏間は15畳と12畳半が続いています。

15畳の和室は付書院・床の間・床脇(天袋・地袋)を備えた、最も格式の高い部屋として、改まったお客様を迎えるための部屋。

客間と仏間をつなぐ欄間は日本画家の竹内栖鳳の作品で東山三十六峰をモチーフに、桐正目の一枚板で彫刻されたものです。

和室には、時代劇に出てくるような立派な屏風が飾られています。

本来、京都では、お客様のある時にだけ屏風を飾るという習慣があり、通常は、和室には何も飾らないものです。

また、祇園祭の時だけ、各家々で自慢の屏風を見せ、秘蔵のものを披露するという慣習がありました。

それを「屏風祭り」と言います。こちらでは、いつも立派な屏風が見られるのも魅力でしょう。

2階には、ちょうど祇園祭が見渡せる鉾見台もあり、現在も祇園祭の際には、多くの人で賑わいます。




2階のサロンは、20帖の洋間です。

暖炉があり、グランドピアノが置かれ、歴史を感じさせるめずらしいプレイヤーもあり、古き良き時代の「遊び」の雰囲気を見事に再現させています。

洒落たシャンデリア、ステンドグラスをはめ込んだ窓、寄木細工の床、鎌倉彫りの壁など、ディテールまで凝った造りは、大正時代のロマンと贅沢感を彷彿とさせる空間です。

当時のモボやモガは、このような素敵な洋室で小粋な音楽や会話を優雅に楽しんだのでしょうか。

また、別棟には蔵があります。

今は、きものや長じゅばんが展示されていますが、2棟並ぶ蔵には、北側の大きな方は、道具や建具類を保管し、南側の小さな方は、日常品や食料品の貯蔵に使用したそうです。

昔から京都の家では、季節に応じて、服のように家も衣替えをしてきました。

暑い時期を少しでも快適に過ごそうとした、いにしえ人の知恵でしょう。

町家には、過ごしにくい猛暑に備えて、夏のしつらえが必要なのです。

ふすまを葦戸(よしど)に変えたり、網代敷や御簾障子などをしつらえたり、座敷はがらりと涼しげな夏の顔に模様替えします。

その際に、建具などの収納ができる蔵は、なくてはならないものでした。

こちらでも毎年、夏のしつらえを行います。

6月4日(水)〜9月末(予定)までの間、夏支度で涼しげな表情の「紫織庵」が見られます。

この機会に、「京の町家・夏のしつらえ」と題された美しい初夏の町家を訪れてみませんか。



取材協力:紫織庵
京都市中京区新町通六角上ル
電話 075-241-0215



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