Kyoto tsu

京都通

  • 2010/10/9

第199回 京都国立博物館『美術や歴史を愛する人々の殿堂』

赤レンガの素敵な博物館があるんどす

三十三間堂や妙法院、方広寺など有名寺院に囲まれた東山の地に、一際目立つレンガ造りの建物があります。
欧風バロック様式を取り入れた優美な姿を見せるこの建物は、京都国立博物館の特別展示館(旧帝国京都博物館本館)です。
外観も素敵ですが、館内もまるでヨーロッパの宮殿のよう。
白い円柱が並ぶ中央室では、コンサートが開かれることもあるそうです。

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この建物に入るとき、ぜひ注目していただきたいのが、玄関上の破風(はふ。切妻や入母屋の屋根のサイドにできる三角形の部分)です。
ここには芸術の神・毘首羯磨(びしゅかつま)と、紙と筆を手に持つ学問の神・伎芸天(ぎげいてん)のレリーフが刻まれています。
文化財の保管・展示・研究を目的とする博物館にふさわしいもの。
でもよく見ると、インドに源流を持つ東洋の神さまなのに、髭や衣の流れなどが何だかギリシア彫刻風なんですよ。

敷地内の庭園には梅・桜・藤など季節ごとの花が咲き、日が落ちると建物がライトアップされロマンチックな雰囲気に包まれます。
彫刻や石造物などの野外展示もあります。

京都国立博物館の収蔵品は、考古・陶磁・彫刻・絵画・書跡・染織・漆工・金工・建築と9つの分野に分類され、平成20年3月31日現在、6417件(国宝27件、重要文化財177件)が収蔵されています。
また寄託品が多いのもこちらの特徴で、6145件(国宝81件、重要文化財602件)と収蔵品とほぼ同数です。
所有者が亡くなったり、コレクションの散逸を防ぐための寄贈を受けたりと、これまでに500人近くから寄贈を受け、現在も継続して収集を進めています。

収蔵品の中には、重要文化財に指定されている坂本龍馬の書簡もあります。
1865年に伏見の寺田屋で書き、土佐の姉・乙女に宛てて出したもので、手紙の後半部分に後に妻となるおりょうについて書かれているそうです。
この他にも、複数の龍馬の手紙が所蔵されています。

明治の人々の情熱が伝わりますぇ

日本の博物館の歴史は、明治4年のウィーン万国博覧会への参加から始まります。
ウィーン万博出品のために全国から集めた品々を湯島聖堂で公開したのが、日本初の官営博覧会といわれています。

これをきっかけに帝国博物館総長・九鬼隆一や同理事・岡倉天心などの手で、世界に通用する博物館を東京に建設する準備が進められました。
そのなかで「古い歴史と日本の伝統文化が残されている関西にも博物館を」という気運が高まり、明治22年、京都の文化財保護の最前線として「帝国京都博物館」を作ることになりました。

決定から建物の着工までの3年間、用地の取得や設計図の作成が行われ、特に設計には1年半近くが費やされました。
担当したのは宮内省の技師、片山東熊(とうくま)。
赤坂離宮(現在の迎賓館)の設計も担当した当時最高の建築家でした。
片山のこの仕事への入れ込みようは半端でなく、何度も現場に足を運び、泊まり込みで作業を指示したといいます。
現在残されている637枚の図面には、あちこちに書き直しや貼り紙があり、九鬼隆一や岡倉天心の確認印が押されていて、建設に携わった人々の熱い思いが伝わってくるようです。

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建物の建設と並行して展示品の収集が進められました。
明治維新当初は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく。明治政府の神仏分離政策によっておきた仏教排斥運動)や旧体制を否定する風潮から、社寺に伝わった什宝(じゅうほう。宝として伝えられた仏像や仏具など)が海外へ流出していました。
しかも多くの工芸品が壊され、紙や木製のものは燃やされ。
こうした危機的事態から貴重な文化財を救うことも、この博物館開設の大きな役割だったのです。

宮司や住職に安心して出品してもらうため、完成間近の館内を公開するなどして、189の社寺から1160点の寄託(きたく。個人所有のものを博物館で預かること)を受けることができました。
さらに京都府が設立準備を進めていた京都博物館に収蔵される予定であった1076点が寄贈され、京都を中心とした平安~江戸時代の古美術を専門とする博物館の準備が整いました。

博物館そのものを楽しんでおくれやす

明治30年5月1日、決定から8年の歳月をかけた帝国京都博物館が開館しました。
待ち望んだ人々が押しかけ、この日の来館者は1928人に上ったそうです。
その後、所属や名称を変えながら100年余の歳月を過ごし、平成19年からは独立行政法人国立文化財機構に所属する京都国立博物館となりました。

現在こちらでは開館100周年を記念して、平常展示館の新館を建築中で、平常展示は休止されています。
工事完成までの間、レンガ造りの特別展示館で、いくつかの特別展が予定されています。
特別展の準備・調査は、すでに約3年先の分まで進められているのだとか。

次回開催の特別展覧会「高僧と袈裟 ころもを伝え こころを繋ぐ」では、まず全国の寺院に伝わる袈裟の調査からスタート。
展覧会の数カ月前には図録用の写真撮影を行い、2~3週間前には展示する袈裟を借りに行ったりと、学芸員さんは日本中を飛び回っているといいます。
とてももろくなった数百年前の袈裟をどのように展示すればよいかを検討し、図録の原稿も書かなければなりません。
平常展示館が完成すれば、ほぼ毎月の展示替えもあり、学芸員という仕事、意外にハードワークなんですね。

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博物館というと何だか難しそうで、敷居が高いという方もおられるでしょう。
しかし何といっても『風神雷神図屏風』など、誰もが教科書で見たことのある本物に出会えるのが大きな魅力。
企画室の天野さんは「難しく構える必要はありません。たくさん見ているうちに、自分が何を好きかが分かってきますよ。気に入るものが見つかったらラッキーという感覚で、気軽に足を運んでください」と話してくださいました。
博物館へ行く目的はもちろん展示品を見るためですが、時には視点を変えて、博物館の歴史や空間が醸し出す雰囲気、そこで働く人々の思いを感じてみてください。
きっと博物館が身近な存在になると思います。

※2010年10月9日~11月23日の特別展覧会「高僧と袈裟 ころもを伝え こころを繋ぐ」では、最澄や空海が身に付けた袈裟が出展されます。

取材協力 : 京都国立博物館
〒605-0931 京都市東山区茶屋町527
電話番号 : (075)525-2473

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