Kyoto tsu

京都通

  • 2020/7/14

第354回 廬山寺『桔梗が咲く時期に授与される紫式部の特別御朱印』

御所の近くにある立派なお寺なんどすえ

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京都御所の東側、寺町通をはさんで建つ大本山 廬山寺。
正しくは「廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)」といい、天慶年間(938年~947年)に、元三大師良源(がんざんだいしりょうげん/慈恵大師)が与願金剛院(よがんこんごういん)を船岡山の南に創建したのが始まりとされています。

応仁の乱で堂宇を焼失した後、元亀2年(1571年)に、織田信長の比叡山焼き討ちに遭遇しますが、正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅命によって免れました。
そして天正元年(1573年)、豊臣秀吉によって現在の地に移転したという歴史があります。
現在の本堂は寛政6年(1794年)、仙洞御所の一部を移築して再建されました。

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本堂にはご本尊の阿弥陀三尊坐像が安置されています。
平安時代末期~鎌倉時代にかけて作られたもので、国の重要文化財に指定されています。
中央は来迎阿弥陀像と称される、臨終を迎える者のもとに出現した阿弥陀如来。
両脇の観音菩薩と勢至菩薩は膝を揃えた座り方で、衣が後方に強くなびく様子を表すことで、来迎のスピード感が強調されています。

世界文学発祥の地として知られているんや

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廬山寺は平安時代に紫式部の邸宅があった場所として知られています。
紫式部は藤原宣孝との結婚生活をここで送り、一人娘の堅子を育て、「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」などほとんどの作品をこの地で執筆しました。

昭和40年11月には、境内に紫式部の邸宅址を記念する顕彰碑が建てられるとともに、「源氏庭」が整備されました。
平安朝の庭園の「感」を表現した源氏庭は、白砂に映える緑の苔がたなびく雲に見立てられ、その苔の上には、紫式部にちなんで紫の桔梗が植えられています。
源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことで、6月末から花が咲き初め、7月半ばには見頃を迎え、9月初めまで静かに咲き続けます。

本堂ではこの源氏庭を眺めながら、写経をすることができます。
お経を一字一字書き進めるうちに、雅な源氏物語の世界に誘われ、紫式部になったような感覚が味わえるかもしれませんね。

疫病神を退散させておくれやす

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山門を入って正面にある元三大師堂には、ご本尊の元三大師像が祀られています。
開祖の元三大師は比叡山の高僧で、荒廃していた比叡山諸堂の復興に尽力するなど数々の業績を残し、中興の祖として崇められていました。
さらに、人並みはずれた霊力とさまざまな姿に身を変えて人々を救ったという伝説があり、平安後期から鎌倉期にかけて説話集が作られました。

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元三大師は「魔滅大師(豆大師)」や「角大師」ともいわれ、中世以来、独特の信仰を集め、今でも「厄除け大師」として信仰を集めています。
角大師は元三大師が鬼の姿となって疫病神を追い払ったところからきており、角大師の護符を家の中に貼っておくと、疫病神の災厄から逃れられるといわれています。

最近では新型コロナウイルスの影響で、全国からこの護符をお求めになる方が増えました(郵送で授与いただけます)。
また、元三大師は全国の寺社仏閣で行われているおみくじの開祖としても知られています。

明智光秀ゆかりの寺宝が展示されてるんどす

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現在、特別展『明智光秀の念持仏と廬山寺展』が開催されており、貴重な寺宝の数々を見ることができます(会期は令和2年11月30日まで)。
大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公にもなっている明智光秀が毎日礼拝していたという念持仏。
中央に地蔵菩薩坐像、脇侍に不動明王立像、毘沙門天立像からなる三尊形式の仏像で、流木のような物を組み合わせて岩窟を表した珍しい厨子に安置されています。

中央の地蔵菩薩坐像の部分は取り外すことができ、光秀は戦地にその菩薩を持ち出して、陣仏(じんぼどけ)として自軍の守り本尊としていたとされています。

そのほか、織田信長の比叡山焼き討ちの後、延暦寺の末寺として廬山寺を攻めようとしていた光秀に、正親町天皇が送った「正親町天皇女房奉書」を見ることができます。
これは、廬山寺は戒律を守る寺であるため焼き討ちをしないようにと求めた書状で、これにより焼き討ちを免れ、そのご縁から光秀は廬山寺に念持仏を奉納したのだそうです。

季節が感じられる特別な御朱印があるんやて

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特別展『明智光秀の念持仏と廬山寺展』の開催中のみ授与される、特別御朱印です(書き置きのみ/台紙の色は数種類あります)。
明智光秀の念持仏である地蔵菩薩にちなんで、中央には「地蔵菩薩」の文字が書かれ、明智家の家紋があしらわれています。

明智家の家紋は桔梗紋で、偶然にも廬山寺の「源氏庭」に咲く桔梗と同じです。
そこには何か深いご縁を感じずにはいられません。

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左は、本堂に安置されているご本尊「弥陀三尊」の御朱印で、中央に押されている印は廬山寺の寺紋です。
「十六菊」に、廬山天台講寺の「天」があしらわれています。
右の元三大師の御朱印には、中央に角大師の印が押されています。
元三大師堂内部は非公開ですが、1月3日、2月3日、9月3日のみ御開帳されます。

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「紫式部邸宅址」と書かれた御朱印で、紫式部の姿をモチーフにした印が押されています。
また、桔梗の開花時期だけ、麗しい紫色の桔梗の印が添えられます。
紅葉の時期は、紅葉の印が押されるので、季節ごとの楽しみがあります。

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廬山寺は「洛陽三十三観音霊場会 第三十二番」となっており、かつて京都・北山にあった金山天王寺のご本尊「如意輪觀音」が祀られています。
鎌倉時代の作である如意輪観音は京都国立博物館の常設展示会場にて展示されており、現在、元三大師堂内にはお前立ちのみが安置されています。

洛陽三十三所観音巡礼は、西国三十二所巡礼に代わるものとして後白河法皇によって定められたと伝わる巡礼です。
幾度となく中断されましたが、平成17年に復興を遂げたことから、令和2年12月までは御朱印に再興15周年の印を特別に押していただけます。

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「京都七福神」の第三番に数えられる廬山寺では、聖徳太子作と伝わる「金山毘沙門天」が元三大師堂に祀られています。
聖徳太子は父・用明天皇の亡きあと、皇位継承問題で排仏派の物部守屋らと戦い、毘沙門天に戦勝祈願をしました。

勝利を治めた太子は仏教を広めるため、大阪四天王寺をはじめ、四つの天王寺を築きます。
そのうちの一つが京都北山に建立した金山天王寺で、如意輪観音をご本尊とし、脇侍に毘沙門天像を安置しました。

金山毘沙門天像を廬山寺で祀るようになったのは明治元年(1868年)からといわれています。
中央の印は、毘沙門天のお使いである百足(むかで)の中に「宝塔」が描かれ、そこに「金山毘沙門天 廬山寺」と刻まれています。
左上の印は「宝塔」と「戟(げき)」を表しています。
戟は戈(か)や矛(ぼう)の機能を備えた中国古代の武器です。

御朱印あれこれ「個性あふれるオリジナル御朱印帳」

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御朱印はノートやメモ帳、パンフレットの裏などに書いていただくことはできません。
これから御朱印巡りを始める方はまず御朱印帳を用意しましょう。

御朱印帳は「納経帖」「集印帳」などとも呼ばれ、墨や朱肉が吸いやすく乾きやすい和紙製でじゃばら折りになっているのが特徴です。
御朱印が増えてくると、じゃばらを開けたときの感動は格別なものがあります。

お寺や神社では縁のある絵柄がデザインされたオリジナルの御朱印帳を扱っていることも多く、上品で重厚感のあるもの、オシャレでかわいらしいものなど多種多様です。

今年初めに新しく作られた廬山寺のオリジナル御朱印帳には、紫式部にちなんで源氏物語の一場面がとても鮮やかに描かれています。
御朱印帳はその寺院を訪れなければ手に入らないので旅の記念にもなります。

また、最近では文具店やインターネット通販でも販売しており、御朱印帳の手作りキットなどもあります。
どの御朱印帳にしようか、迷う時間も楽しいひと時。
お気に入りの一冊を見つけて、是非、ご朱印巡りをお楽しみください。

取材協力 : 廬山寺
〒602-0852 京都市上京区寺町広小路上る
電話番号 : (075)231-0355
FAX番号 : (075)231-1357

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