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京都通

  • 2009/5/2

第124回 賀茂別雷神社(上賀茂神社)『平安の雅やかさを今に伝える賀茂祭』

神域で京の神聖さに触れておくれやす

京都の北をお守りするように鎮座する賀茂別雷神社。
一般には、その正式名より上賀茂神社という通称名で知られています。

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広大な境内には、「ならの小川」という清流が流れており、境内を抜けると「明神川」と名を変えます。
その清流のおかげでしょうか、京都の中心部から神社周辺にたどり着くと、空気はどことなく清々しく澄んでいるように感じられます。
そんな小川の音色に包まれながら長い参道を進むと、朱塗りの立派な楼門が見えてきます。

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その奥には国宝に指定された社殿があり、平安中期の形を留める見事な檜皮葺きで、貴重な三間社流造を残しています。
補修は行われてきたものの、近年は震災や戦争などで壊れることなく、当時と同じ形の建物を残し、しかも、建てられた位置も当時のまま。
多くの歴史的建造物が移転をしてきた中で、まさに歴史の姿そのままに残っているのは貴重ということで、国宝に指定されたそうです。
(補足 : 現在の本殿は文久3(1963)年に造替)また、この境内全域は、1994年に世界文化遺産にも指定されています。

ただ、この本殿前は、一般の人だけで入ることはできません。
しかし、社殿前で受付をすれば、随時、神職にご案内していただけます。
まず神職にお祓いをしていただき、神社の由来を伝える『山城國風土記』に記された賀茂神話のお話があります。
それから社殿前では、なぜ同じ建築構造をした本殿・権殿(ごんでん)という2棟が東西に並ぶように建てられているのかなど、平安時代の人々がどのような思いで社殿を建てたのかを教えていただけます。

神社の由来となった神話は、どこかキリスト誕生さえを思わせるファンタジックさがありますが、そんな不思議なお話も自然と受け入れられる神聖さが、神域にはあるように感じられました。
神域で古代のお話を拝聴しながら、古き時代の京都に想いは馳せるというのもいいものです。

葵祭は平安時代のファッションショーどす

上賀茂神社の起源は定かではなく、京都で最も古いお社であるといわれています。
現在のように、国内で重要な神社の一つとなった大きな由縁は、賀茂祭です。

賀茂祭の起源は奈良時代。
欽明天皇の御代(540年頃)に、日本国中が風水害に見舞われ、国民が苦しんでいました。
この窮状を天皇勅命により、当時の有名な占い師であった卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせます。
すると賀茂大神の祟りであると奏したことから、盛大な祭が行われるようになりました。
これが賀茂祭のはじまりです。

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時代が進むにつれ、賀茂祭は国の重要な祭事と尊崇されるようになり、貞観年中(859~876年)には、壮麗な祭事へとなっていきました。
しかし、当時の賀茂祭は一般の拝観がほとんど許されず、京都御所から上賀茂神社までの行装を拝観できる程度でした。
そのため、ひと目拝観しようした貴族たちが牛車を押し並べ、一般の京の町の人たちから地方からやってきた見物人まで、町は人で溢れかえったそうです。
まさに憧れのお祭りだったのですね。

平安時代の賀茂祭は、貴族たちにとっても一大イベント。
最新のファッションに身を包んで拝観するのが定番でした。
そんな貴族の姿を見るのも町の人たちにとっては楽しみのひとつだったようです。
貴族たちも、そんな注目を浴びることを知っていて、流行のものに身を包み、雅やかさを競っていました。
現代のファッションショーといったところでしょうか。
その様子は、『源氏物語』にも鮮やかに描かれています。

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現在でも、賀茂祭は天皇の勅命によって執り行われる国の重要な祭事のひとつです。
平安の雅な姿を今日に再現するこの祭りは、京都の三大祭(賀茂祭・祇園祭・時代祭)の中で、もっとも古い祭事でもあります。
生涯に一度は拝観していただきたいものです。

※お祓い、賀茂神話のお話についての詳細は直接お問合わせください。

神社もエコ活動してますんえ

「賀茂祭(かもさい)」のことを「葵祭(あおいまつり)」ともいうようになったのは、実は江戸時代になってから。
このように呼ばれるようになったのは、社殿の御簾や牛車などの飾り、巫女の髪飾りなど祭事に関わるすべての人や物を二葉葵という植物で飾っているからです。
現在でも、この祭りには7,000株以上もの二葉葵が使われています。

このように二葉葵は、上賀茂神社の御神紋にもなっています。
葉の形がかわいいハート型をしており、二葉葵は一つの茎から両手を広げるように2枚の葉をつけます。
4月になると葉の下に隠れるような小さな花を咲かせます。葵の種類はさまざまですが、いずれも山間の水が澄んだところでしか育たないそうです。
昔は境内にも自生していたそうですが、現在は山で採取されているそうです。

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それでも、だんだん環境破壊の影響もあり、葵が育つ環境は減っているそうです。
保護の必要性を痛感した上賀茂神社では、3年前から地域と共同で「葵(Afuhi)プロジェクト」がスタート。
これは、京都市の教育委員会に協力を求め、児童の力を借りて二葉葵を増やそうというものです。

まず、株分けして小学校のプランターで育ててもらいます。
その世話を小学生にしてもらいながら、その子どもたちが6年生になって卒業する頃、それを記念して、神社に葵を戻してもらうそうです。
去年は、賀茂祭の際、子どもたちから祭事に関わる人たちに葵を手渡ししてもらい、それらを飾って祭りを行ったそうです。
子どもたちに環境の大切さを知ってもらいながら、京都文化を学べ、エコ活動というものがどういうものか体験してもらえる素晴らしい企画ですね。
この企画によって復活した二葉葵は、境内のどこかに育っているそうです。
そんな葵の姿を見つけたら、新しいエコの取り組みをぜひ思い出してみてください。

取材協力 : 賀茂別雷神社(上賀茂神社)
〒603-8047 京都市北区上賀茂本山399
電話番号 : (075)781-0011

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