Kyoto tsu

京都通

  • 2009/9/12

第143回 電電宮『全国的にも珍しい電気・電波の祖神をもつ神社』

もともと電気は自然界にあるものどすえ

先頃、京都通でご紹介した嵐山の中腹にある虚空蔵法輪寺の緑豊かな中に、電電宮はひっそりと佇んでいます。
電電宮の由縁となったのは、電電明神(でんでんみょうじん)を主神とする「明星社(みょうじょうしゃ)」です。
同社は1864年(元治元年)の禁門の変の際に焼失しました。
これを再建したのが、電電宮です。

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明星といえば、金星のことです。
ブッダが修行をしているときに金星が輝いたという言い伝えから、悟りのシンボルともされています。
明星社の由来は、虚空蔵法輪寺で修行していた道昌僧都(どうしょうそうず)が、百日間の求聞持法(ぐもんじほう)の修行最後の日に、井戸で水を汲んでいると明星が天空より降り注ぎ、虚空菩薩が来迎したという言い伝えによります。
しかしながら、金星や北斗七星など星を信仰する歴史は古くからありますが、これが電気や電力の信仰へとなぜ発展したのでしょうか。
これには、京都という土地柄の関係が深いようです。

そもそも電気とは、発明されたものではなく、発見されたものです。
つまり、もともと自然界にあるものなのです。
その代表格といえるのが、雷です。

雷は、電子の働きによって生じるものですが、科学的なことが不明だった時代には、天から光が降り注ぐ恐ろしいものとして、人々に感じられていたことでしょう。
京都は山々に囲まれている土地柄のため、雷が少なくありません。
山に光の矢が何本も刺さるように落ちる様は、まさに神々しいともいえる風景です。
実際、京都で最も古いお社といわれている加茂別雷神社(通称 : 上賀茂神社)は、加茂別雷大神という雷神をご神徳にもち、厄除けなどのほかに、電気産業の守護神としても信仰を集めています。
同じ天から光を降り注ぐ星への信仰が、雷に、そしていつしか電気へのご神徳として崇められるようになったのでしょう。

携帯電話にぴったりなお守りもあるんえ

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電電宮がある虚空蔵法輪寺の入口近くには、トーマス・エジソン氏やハインリッヒ・ヘルツ氏のブロンズ胸額が掲げられた電電塔(でんでんとう)があります。
エジソン氏といえば、蓄音機や白熱電灯の発明家として有名なアメリカ人です。
ヘルツ氏は、電磁波の存在を実験で示したドイツ人技術者です。
彼の名前に由来する、電波などの周波数の単位として知られるHz(ヘルツ)という記号なら、学校で学んだ記憶をお持ちの方も多いでしょう。

この二人は、電気・電子の功労者の代表として祀られています。
しかしながら、功労者とはいえ、外国人を祈願の対象とするのは珍しいかもしれません。
彼らの国の多くの人が信仰しているキリスト教には、あまり結びつかない宗教観といえるでしょう。

これには、日本人の祖先崇拝あるいは祖霊信仰と結びついているのを感じます。
もともと日本人は、先祖のことを「ご先祖様」とか「仏(ほとけ)様」と呼びますが、日本には、人が死ぬと肉体を離れた霊魂は祖霊や神となって、この世に生きる人々に幸福を与えたり、危険なものなどから守ってくれたりするという宗教観が根付いています。
お盆などにお供え物をするのも、こういった宗教観がベースにあるからです。
エジソン氏やヘルツ氏が祀られるようになってからまだ歴史は浅いですが、日本人も徐々に世界視野の発想で宗教を考え始めているのかもしれない、と神社の姿からも時代の流れを感じさせます。

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また、お守りにも時代を感じさせるものが登場しています。
私たちの必需品といっても過言ではない携帯電話対応のお守りです。
これは携帯電話専用というわけではないのですが、携帯電話に貼るのにちょうどいいサイズになったお守りシールです。
さすが電電宮らしいお守りです。
携帯電話のメールで日常的な連絡はもちろん、愛の告白までするようになった昨今では、恋愛成就や良好な人間関係形成にもぴったりなお守りかもしれませんね。

現代は電気様様の時代どす

虚空蔵法輪寺へと向かう参道から横にそれた、坂の上に電電宮はあるため、思わず見過ごしてしまいそうですが、副住職の藤本様によれば、年々、参拝者が増えているそうです。
それは時代と共に、電気や電力に関係した仕事をされている方が増え、生活にまつわるものにも電気が浸透したからでしょう。

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そもそも「電電宮」という名称となったのは、1956年(昭和31年)。
「明星社」の仮宮だった社殿を、電気電波関係業界の方々が将来の電気・電力の発展を祈願するために、新たに奉祀したのが始まりです。
その後、1969年(昭和44年)に、大阪で開催された万博博覧会を記念して、現在のような宮殿が再建されました。

テレビの出発点ともいわれる、高柳健次郎氏が世界で初めてブラウン管に「イ」という字を映し出したのは1926年(大正15年)。
1959年になると、皇太子のご成婚パレードのテレビ中継を観ようと、一般家庭へのテレビ普及が急速に進んだ時代です。
当時は、まさに電気というものが、これまでの生活を一変させていた熱い時代だったのではないでしょうか。
そして現代においては、電気がなければライフラインは停止してしまうといっていいほど、生活に密着した存在になっています。
時代を経るほどに、参拝者が増えていくというのも当然なのかもしれませんね。

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1979年(昭和54年)には、電気業界の方々が電電宮の護持運営のために護持会を結成。
毎年、明星来迎の5月23日を縁日として大祭が行われています。
この日は電力会社やソフトウェア会社の方など幅広い電気・電力・電子等の仕事関係者をはじめ、アマチュア無線愛好家など個人の方まで祈願のために、全国からお参りに来られるそうです。

もうすぐ車も化石燃料の時代から、いわゆるハイブリットカーといわれる電力を燃料とする時代へとシフトしている過渡期。
電電宮の存在は、ますます注目を集めそうです。

取材協力 : 電電宮
〒616-0006 京都市西京区嵐山虚空蔵山町16 法輪寺内
電話番号 : (075)862-0013

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