Kyoto tsu

京都通

  • 2015/6/13

第299回 一休寺『とんちで知られる一休さんが晩年過ごした古刹』

一休さんはほんまに庶民に愛されてはったんどすなぁ

子どもたちの間で人気の「一休さん」。
その一休禅師が晩年を過ごしたことで知られる「一休寺」が、宇治のもう少し南に位置する京田辺市にあります。
一休寺の正式名は「酬恩庵(しゅうおんあん)」。
一休禅師が88歳でこの世を去るまでの25年間をここで過ごしたことから、いつからか「一休寺」と呼ばれるようになりました。

tuu_299_001

もともとは、大徳寺を開いた高僧・大燈国師(だいとうこくし)の師である大応国師(だいおうこくし)が、妙勝寺という禅の道場を開いたもの。
一休禅師は荒れていたこのお寺を再興し、「ご恩に報いる」との意を込めて「酬恩庵」と名付けたのです。

一休さんといえば、「このはし渡るべからず」「屏風の鬼退治」など、「とんちの一休さん」としておなじみですが、真の姿は権力にも決して屈しない、反骨精神に満ちた禅僧でした。
後小松天皇の血を引くともいわれ、6歳で京都の安国寺に入門。
そこで学問に励み、特に詩の才能を開花させました。
しかし、地位や金銭にまみれて堕落していく修行僧の姿に絶望し、安国寺を17歳で去ります。

その後、滋賀の禅寺で厳しい修行を積み、25歳の時、大徳寺の高僧・華叟宗曇(かそうそうどん)から「一休」の名を授かりました。
真の仏教を求め、庶民に教えを説きながら、居所を定めることなく、各地を旅した一休禅師。
宗派や形式に捉われないそんな一休の行動を、世間は「風狂」と呼び、自らを「狂雲(きょううん)」と称しました。

tuu_299_002

ちなみに、「とんちの一休さん」のお話は江戸時代になってから作られたもの。
民衆の立場に立って共に生きた、人間味にあふれる一休禅師は庶民の間で大変人気を集めました。

一休さんの木像や枯山水のお庭が見どころなんや

緑に囲まれた一休寺の境内は大変広く、清々しい印象を受けます。
総門を入ると石畳を敷いた上り坂の参道が続きます。秋はこの周辺の木々が紅葉し、美しい光景を見ることができます。

受付の右手には一休禅師の墓所があります。現在は宮内庁の管理下になっているため、中に入ることはできませんが、門扉の菊の透かし彫り越しに中を眺めることができます。
そこには、茶道の祖といわれる村田珠光(むらたじゅこう)作と伝わる枯山水の庭があります。
芸能をこよなく愛した一休禅師のもとには珠光ら茶人をはじめ、能楽師や連歌師などの芸術家が多数集まり、ひところ一休寺は文化サロンの様相を成していました。

参道を進み、方丈に入ると、そこには狩野探幽の襖絵が飾られています。
仏間には一休禅師の木像が安置されていますが、これは一休禅師が亡くなる前年、弟子に命じて造らせたもの。
その木造に一休禅師は自らの頭髪やひげを植え付けました。残念ながら今は抜け落ちていますが、よく見るとその跡が残っているのが分かります。

tuu_299_003
tuu_299_004

そして一休寺の大きな見どころともいえるのが、方丈を囲む三方の庭。枯山水庭園で、南・東・北の三庭からなります。
これらは松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう/第298回「松花堂庭園・美術館」の項を参照)をはじめ、江戸初期の三文人の合作と言われています。

第298回「松花堂庭園・美術館」

南庭はサツキの刈込みを奥に、西側にサザンカや大きなソテツを配した白砂の庭。
東庭はわずか幅3メートルほどの細長い庭で、多数の庭石を並べて、仏の教えを受ける十六羅漢の姿を表しています。
北庭は豪壮な石組みで枯滝(かれたき)を表した蓬莱庭園。
三つの庭はそれぞれ異なる趣があり、紅葉の時期はこの風景を求めて、多くの参拝者で賑わいます。

名物・一休寺納豆を一度味わっておくれやす

風景や寺宝のほか、一休寺には是非ご覧いただきたいものがあります。
それは、一休禅師が製法を伝えたとされる「一休寺納豆」です。
納豆というと、糸を引く粘り気があるもの(糸引納豆)を想像しますが、この一休寺納豆は粘りのない「塩辛納豆(寺納豆もしくは浜納豆)」。

tuu_299_005

そもそも、糸引納豆が登場したのは中世以降のことで、元来の納豆は塩辛納豆のことを指し、調味料の一種として、また保存食として重宝されてきました。
塩気がきいていて、噛むほどに香ばしい味わいが楽しめるこの一休寺納豆。
その製法は代々の住職に伝えられ、材料や製法などは500年前とほとんど変わりません。
今もこのお寺で作られ、庫裏(くり/禅寺でいう台所)で販売されています。

また、一休寺納豆のほか、四季折々の食材を活かした精進料理や、おぜんざいも味わうことができます。
ぜんざい(善哉)とはもとは仏教の言葉で「善き哉(よきかな)」という意味。
これは、「よろしいです」と師が弟子を褒め称える時に使った言葉なのだそう。
小豆を炊いた汁を食べた一休禅師が、その美味しさを「善き哉」と表現されたことから、「善哉」と呼ぶようになりました。

tuu_299_006

一休寺では、1月1日生まれの一休禅師にちなんで、毎年1月の最終日曜に「一休善哉の日」が行われます。
絵馬には今年1年に行う善いことを書いて奉納し、この日訪れた参拝者には善哉がふるまわれます。
さまざまなところから、これまで知らなかった一休禅師の姿が垣間見られる一休寺。
是非、この機会に一休禅師の教えに触れてみてはいかがでしょう。

取材協力 : 一休寺
〒610-0341 京都府京田辺市薪里ノ内102
電話番号 : (0774)62-0193
FAX番号 : (0774)62-5975

Translate »