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京都通

  • 2019/8/24

第349回 梨木神社『明治維新に貢献した公卿をお祀りする万葉の香りあふれる"萩の宮"』

御祭神に公家をお祀りした神社は珍しいんどすえ

京都御所のすぐ東側にある梨木神社は、幕末維新に貢献した公卿、三條実萬(さねつむ)を御祭神として、明治18年(1885年)に創建されました。
この地はかつて三條家の邸宅があった場所で、明治までこの周辺には公家のお屋敷が建ち並んでいました。
梨木神社の名は旧町名の梨木町に由来しており、京都御所との間にある梨木通りはかつて朝夕参内する公卿たちの参内道として使われていました。

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御祭神として祀られている実萬は、光格、仁孝、孝明天皇に仕え、朝廷から大変信頼を寄せられていた方です。
また、幼少の頃から学問において秀でた才能を持っていたことから、菅原道真の生まれ変わりと崇められ、当時の人々からは"今天神様"と称せられていました。

幕末の混乱期に王政復古の大儀を唱え、明治維新の原動力となった実萬。
その功績が称えられ、彼の死から26年後、梨木神社が建てられることになったのです。
そんな父親の遺志を継いだ息子の実美(さねとみ)もまた、孝明、明治天皇の仕え、明治維新政府では右大臣、さらには太政大臣となって、明治の諸制度を制定。
辞職後は内大臣兼総理大臣になるなど近代日本の礎を築きました。

そこで、大正天皇即位式にあたる大正4年(1915年)には実美が第二座御祭神として合祀されることになったのです。
このように父子揃って同じ道を歩み、志を同じくした公卿を御祭神として祀った別格官幣社は全国的にも大変珍しいことです。

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拝殿の傍らにある「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」の石碑は、実萬が床の間の軸に書かれ、日夜皇室の弥栄(いやさか)をご祈念されていたものを石碑に刻まれたと伝えられています。
明治天皇はこのことをお聞きになり、石碑の拓本をとられ、2月11日の現在の建国記念日に居間に掲げられ、国家の弥栄、国民の安泰をご祈念されたそうです。

また、学問・文芸の神様として崇敬を集めていた実萬、実美の両公にふさわしく、境内には江戸後期の国学者で「雨月物語」の著者である上田秋成の歌碑も建てられています。

可憐な花を愛でに、萩まつりにおこしやす

梨木神社を語る上で忘れてはならないのが「萩」で、「萩の宮」とも称されるように、京都を代表する萩の名所として知られています。
参道の両脇には500株以上の萩が植えられており、初夏には花がちらほらと咲き初め、秋の訪れとともに境内を赤や白の萩が埋め尽くします。
萩は万葉集で最も多く詠まれた植物で、奥ゆかしくも可憐に咲く花、そして細い枝が風に揺れる優美でしなやかな姿は、古今を問わず人々の心を癒やしてきました。

萩は観賞用だけではなく、食料や薬草、屋根材に使われるなど、昔から私たちの生活には欠かせない植物だったそうです。
今でも秋のお彼岸にはこの花をお供えする風習が残っており、おはぎはこの花にちなんで付けられました。

また、日本初のノーベル賞に輝いた湯川秀樹はかつてこの近所に住んでおり、萩の会の初代会長でした。
そのご縁から、境内には湯川氏が詠んだ「千年の昔の園もかくやありし 木の下かげに乱れさく萩」という歌碑が建てられています。

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梨木神社では毎年9月に「萩まつり」が行われ、秋らしい情景を愛でに多くの参拝者が訪れます。
令和最初の今年は9月21日(土)~23日(月・祝)の3日間行われます。
そして初日に開催されるのが、どなたでも参加できる「府市民俳句大会」です(参加料は1000円)。
句をしたためた短冊が境内の萩に掲げられることで、より一層、雅やかな光景が作り出されます。

また、祭典では、神饌とともに紅白の萩の花と鈴虫を竹のかごに入れてご神前に奉納されるほか、奉納行事として狂言や舞、琴、箏曲、弓術、さらには抹茶席などが予定されています。

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梨木神社は晩秋の季節も素晴らしく、赤く色付く紅葉とともに、黄色く染まる萩や桂のグラデーションが鮮やかに境内を彩ります。
是非、梨木神社で秋の訪れを感じてみてはいかがでしょうか。

※月釜・萩まつりの詳細は梨木神社公式サイトでご確認ください。

取材協力 : 梨木神社
〒602-0844 京都府京都市上京区寺町通広小路上ル染殿町680番地
電話番号 : (075)211-0885
FAX番号 : (075)257-2624
http://nashinoki.jp/

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