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京都通

  • 2020/1/11

第351回 壬生寺『壬生狂言公開時に授与されるお猿さんの御朱印』

お地蔵さんがたくさんいてはるお寺なんやて

京都の街中にある壬生寺は、平安時代の正暦2年(991年)に滋賀にある三井寺の高僧・快賢(かいけん)によって建てられた名刹で、京都では珍しい律宗のお寺です。

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古くは地蔵院、宝幢三味寺(ほうどうさんまいじ)などと号していましたが、お寺の所在地から壬生寺と通称で呼ばれるようになり、今ではこちらが正式名となっています。
ご本尊として奈良の唐招提寺より遷座された地蔵菩薩立像(平安時代作・重要文化財)をはじめ、水掛け地蔵、夜泣き地蔵など多くの地蔵菩薩が祀られています。

壬生寺は古くから地蔵信仰とともに、京都の裏鬼門(南西)に位置することから、厄除け・開運のお寺として庶民の信仰を集めてきました。
そして、本堂の南側でひときわ目をひくのが円錐形の建物。
これは「千体仏塔」といって、明治時代、京都市の区画整理の際に集められた千体の石仏がここに安置されています。

新選組と深いゆかりがあるんどすえ

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新選組ゆかりの地として知られる壬生。この地を拠点に活動していた新選組は壬生寺の境内を兵法調練場として、大砲や剣術の訓練を行っていました。

また、局長の近藤勇をはじめ隊士が壬生狂言を観賞したり、あるときは一番隊組長・沖田総司が境内で子供たちを集めて遊んだり、新選組が相撲興行を壬生寺で取り仕切った際には、お寺の池から魚やすっぽんを獲って料理し、力士に振る舞ったという数々の逸話が伝わっています。

阿弥陀堂の奥にある壬生塚には、近藤勇の胸像と遺髪塔、新選組屯所で暗殺された初代筆頭局長の芹沢鴨ら隊士のお墓などがあり、併設の「壬生塚・壬生寺歴史資料室」では新選組に関する資料やパネルなどが展示されています。

毎年7月16日に行われる「新選組隊土等慰霊供養祭」では近藤勇の胸像前で慰霊法要が営まれ、有志による剣技や詩吟が披露されます。
幕末の京都を駆け抜けた熱き男たちの思いに触れてみてはいかがでしょう。

壬生狂言は700年も続いているんやなぁ

壬生寺に伝わる伝統芸能「壬生狂言」は、正しくは「壬生大念佛狂言」といい、およそ700年前の鎌倉時代、壬生寺を再興した円覚(えんがく)上人によって創始されました。

正安2年(1300年)、円覚上人は壬生寺で「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行いました。
その教えを聴こうと多くの民衆が集まったため、声が後ろまで届かないことを案じた上人は、声が聴こえなくても、学がなくとも理解できるよう、身ぶり手ぶりの無言劇に仕立えた念仏を考えつきました。

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これが壬生狂言の始まりと伝えられ、かね・太鼓・笛のお囃子の音色から、「壬生さんのカンデンデン」という愛称で親しまれてきました。
次第に庶民の娯楽として発展し、仏教説話だけでなく、能や浄瑠璃などからも題材を取り入れ、現在は30の演目が伝えられています。

また、国の重要無形民俗文化財になっており、狂言が演じられる大念佛堂(狂言堂)も他に例のない特殊な建造物として国の重要文化財に指定されています。
現在、壬生狂言は有志によって、春の大念佛会、秋の特別公開、節分の年3回、約12日間特別公開されています。

一般の能狂言とは異なり、壬生狂言はすべての演者が仮面を付け、一切セリフを用いず、無言で演じられます。
驚くことに台本は存在せず、すべて人から人へ伝わってきたものです。

「もし、台本によって伝承されていたら、壬生狂言は途絶えていたかもしれません。
物がなくとも、人と人のつながりがあれば物事は消えないもの。
その人と人のつながりが、物を残していく中でいかに大切であるかを700年も続く壬生狂言が物語っています。
このことを多くの方に知っていただきたいのです」。

自身も壬生狂言の演じ手である副住職がそう語ってくださいました。

壬生狂言「節分」をご覧になっておくれやす

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毎年2月2日~4日の3日間行われる「厄除け節分会」は900年以上の長い歴史を持つ行事で、毎年、境内は多くの参拝者で賑わいます。
大護摩祈祷では一年の無病息災、厄除け開運を祈願するほか、2日と3日は厄除け鬼払いの壬生狂言「節分」が1日8回繰り返し上演されます。

「節分」には人間はマメになる(勤勉に精進する)ことによって、鬼のような不幸を追い払い、福徳を得ることができるという教えが込められています。
自分の中にある魔が形となったものが鬼で、それを追い払うため、つまりは魔(マ)を滅(メッ)するためにマメをまくようになったということを教えてくれます。

そして、節分の期間中、素焼きの炮烙(ほうらく)に家族や知人の数え年、性別、願い事を墨で書いて奉納するという珍しい風習があります。
壬生寺は裏鬼門にあたるので、お参りすることで表鬼門から入った厄を落とし、福徳を得るという信仰が伝わっているのです。
納められた多くの炮烙は、春の大念佛会で最初に上演される狂言「炮烙割(ほうらくわり)」の中で次々と割られます。

壬生狂言を見て、お猿の御朱印をいただきまひょ

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年3回ある壬生狂言の公開期間のみ授与されるのが、中央に猿の印が押された特別な御朱印です。
猿は山王大権現という神様のお使いで、「厄が去る(さる)」ということから開運・厄除けのご利益があるとされています。
この猿は、狂言で使われる仮面をモチーフにしたもので、江戸期または明治期の版木で手刷りされたもの。
こちらは書き置きの御朱印となっています。

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通常の御朱印はご本尊の「地蔵尊」、京都十二薬師霊場第四番の「歯薬師」、阿弥陀堂のご本尊「阿弥陀三尊」、洛陽三十三所観音霊場第二十八番の塔頭・中院「大悲殿」の4種類があります。
ちなみに、歯薬師の名前の由来はお顔が「ハハハ」と笑っているように見えるからだと言われています。
歯の病気にお悩みの方、歯の手術をされる方、歯医者さんもお参りに来られます。

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今年初めての試みとして実施されているのが、壬生にある寺社仏閣をめぐって開運祈願をする「京都・壬生 開運招福三社寺めぐり」です。

厄除け・縁結びのご利益がある「元祇園 梛神社(もとぎおん なぎじんじゃ)」、新選組最初の大舞台の場といわれている「新徳寺」(通常非公開)、そして壬生寺の三社寺をめぐり、御参拝の証に限定の御朱印をいただくことができます。
壬生寺、元祇園梛神社で授与される御朱印紙は、宝船や打ち出の小槌などお正月らしい縁起物が散りばめられていて、幸先のいい一年になりそうです。

※「京都・壬生 開運招福三社寺めぐり」は、令和2年(2020年)1月1日~31日までです。

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壬生寺オリジナルの御朱印帳は桜、金襴、濃紺といった落ち着きある上品な色合いの3種、そしてお地蔵さまが厄に対峙している場面が色鮮やかに描かれたものの全4種類あります。

お寺はまずご縁を結ぶところです。
仏教を学ぶという堅いイメージから、なかなか日常の中で身近に感じることが少ないかもしれませんが、御朱印集めをきっかけに、さまざまな寺社仏閣とのご縁をお楽しみください。

御朱印あれこれ「御朱印をいただく際の心得」

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御朱印はご本尊や御祭神に手を合わせた証にいただくもの。
まずは手水舎で心身を清め、寺院の場合は本堂、神社の場合は拝殿に参拝してから、授与所や納経所、社務所などで御朱印をいただくのがマナーです。

御朱印が数種類ある場合はどれを書いてほしいかを伝え、御朱印帳の書いてほしいページを開いて渡すと親切です。
記帳していただいている方に喋りかけたり、その場を写真撮影したりせず、静かに待つことを心がけましょう。

参拝者が多く、混み合っているところは先に預けて書いていただく場合もあります。
受け取る際には自分の御朱印帳であるかをしっかり確認してから、初穂料(御朱印代)を納めます。
また、御朱印帳を忘れたときや持ち合わせていない場合は、すでに書いてある「書き置き」をいただけるところもあります。

取材協力 : 壬生寺
〒604-8821 京都市中京区坊城通り仏光寺北入る
電話番号 : (075)841-3381
FAX番号 : (075)841-4481

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