Kyoto tsu

京都通

  • 2010/5/15

第178回 平等院鳳凰堂 『"あの世"に佇む極楽浄土の阿弥陀堂』

宇治は都の人にとっての楽園どした

日本人ならおそらく誰もが、子供の頃から親しんできた平等院の鳳凰堂。
平等院は世界遺産に指定され、年間80~100万人が訪れると言われる人気の観光地ですが、みなさんは実際にご覧になったことはありますか?

池の中に、はかなげに立つ阿弥陀堂、通称「鳳凰堂」。
水に映る姿を目の前にすると、10円玉の姿からは想像できない優雅さを感じることができるでしょう。
池の対岸から鳳凰堂を真正面に眺めると、美しいシンメトリーなデザインに溜息が出るとともに、阿弥陀様の尊顔が庭からでも拝めることに気付き、ありがたみさえ感じます。

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平等院は、1053年、当時の関白、藤原頼通が創建しました。
父、藤原道長から譲り受けた別荘地を寺に改め、極楽浄土の世界を表現したことで知られています。

しかし、当時の最高権力者である藤原家が、なぜ、政治の中心地である京の都から離れた宇治に、寺院を建てたのでしょうか。
それには「宇治」自体の魅力が大きく関わっていたようです。

宇治川のほとりは、当時の人々にとって、浮世離れした別天地のような存在でした。
貴族の別荘がここに多く建てられたのも、そんな楽園への憧れが強かったからなのでしょう。
『源氏物語』の世界でも、都に住む貴公子たちが宇治を訪れ、宇治川に船を浮かべて管弦楽を楽しむなど、束の間の休息を楽しむ様子が描かれています。

そんな神秘の地、宇治に、藤原頼通も「極楽浄土」のイメージを重ねていたようです。
頼通は、必ず迎える死への不安から、死後の世界を想像し、極楽浄土で楽しく過ごせるように、との願いをこめて、ここで阿弥陀様にお祈りを捧げました。
平等院の阿弥陀堂は、鳥が左右に翼を広げたような建物の外観や、屋根の上の一対の鳳凰像から、のちに「鳳凰堂」と親しまれるようになりました。

1万円札にも描かれている「鳳凰」は、瑞兆を表す幻の鳥。まさに極楽世界にふさわしい鳥だと考えられたのでしょうか。
お寺の方によると、「徳の高い人が生まれる時に、鳳凰が降り立つ」という伝説もあるそうです。
そんな鳳凰を飾るなんて、栄華を極めた藤原家でなければ、許されないことだったのかもしれませんね。

間近で本物の鳳凰や菩薩を観られるんどすえ

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実は、現在、阿弥陀堂の屋根に立つ鳳凰は復元されたもの。
本物は、2001年3月に、境内にオープンした鳳翔館に展示されています。
平等院の文化財を守りながら、広く公開する施設が誕生したことで、屋外で毎日風雨にさらされてきた鳳凰も、今は、観光客と同じ目の高さで展示され、細部までゆっくり眺めることができるようになりました。
また、現在、拝観できる人数が制限され、じっくり見ることが難しい鳳凰堂の「雲中供養菩薩像」も、52体中、半分は、鳳翔館に展示されています。

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雲中供養菩薩像は、雲に乗った52体の仏様。阿弥陀如来像を手掛けた、平安時代のすぐれた仏師、「定朝(じょうちょう)」の工房で製作されたと言われています。
今にも動き出しそうな躍動感ある菩薩たち。
その姿は、1体1体がすべて違う顔、手の動きで、楽器を奏でていたり、舞を踊っていたり、合掌していたりとさまざまですが、いずれの像からも、「あの世」がいかに美しい風景なのかが伝わってきます。

「雲中供養菩薩像は、定朝のお弟子さん、8人ぐらいで造った作品だと言われています。それを考えると、大仏師、定朝でなくても、当時の人々は優れた感覚を備えていたことがわかります」と学芸員の太田さん。
また、「菩薩の姿とは、空想上のものでしかありません。そのイメージをどこまで立体物として想像できるものか。そんな、現代人が失いつつある感覚を磨くためにも、ぜひ本物を観てください」とも話してくれました。

鳳翔館がオープンする以前は、暗い鳳凰堂の堂内の、高い長押の上に飾られていたため、お顔の様子さえ伺うことができなかった菩薩像たち。
現在は、半分の26体が間近で観察できるとあって、幅広い層の方が、満足して帰られるようです。
通称「雲中の間」は、デザインの美しさもあって、部屋自体が浄土の世界を表現しているよう。
そんな仏様の住む世界が、目の高さまで降りてきたような錯覚に陥ります。

衣装やお花も現代に蘇らせているんどす

今年3月2日、例年通り、「関白忌」が平等院にて執り行われました。
関白忌とは、創建者である、関白・藤原頼通の命日に行われる法要です。
3月という時節がら、宇治に春を呼び込む儀式として地域の方にも親しまれ、今年で937回を迎えました。

今回の関白忌は、住職が珍しい法衣を着て登場したことで、メディアでも大きく取り上げられました。
鳳凰堂の壁画「極楽浄土図」に描かれた僧侶が身に着けている、平安時代の装束「裘代五條袈裟(きゅうたいごじょうげさ)」が平等院に蘇ったのです。

壁画は、1000年の時を経て剥落し、激しく傷んでいましたが、科学的な研究の成果もあって、長い裾、プリーツのような折れた襞などの特徴が判明。
今回の関白忌のために復元し着用したのだそうです。

貴族が仏様の元へ供養に訪れる場面や、極楽浄土の宮殿が描かれたこの極楽浄土図は、現在も鳳凰堂の中に飾られています。
阿弥陀様の背後に描かれている壁画なので、「仏後壁」とも呼ばれています。
鳳凰堂には、ほかにも、壁画が多く残されていますが、いずれも傷みが激しく、当時の姿を想像するのは困難です。

鳳凰堂の建物も、もとは鮮やかな朱色で塗られ、屋根の上の鳳凰も金色に輝いていました。
しかし、現在は風化し、くすんだ木の色となって佇んでいます。
それでも尚、美しい姿を見せてくれる鳳凰堂ですが、当時の姿にも興味がありますよね。

現在、鳳翔館では、往時の鳳凰堂の姿を映像で解説。
極彩色の建物や、天井に貼られていた鏡などを再現しています。

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また、自然界においても、貴重なものが復活していました。
平成11年の改修の際に、江戸時代の蓮の種が発掘されたのです。
数年前に無事開花し、「平等院蓮」と呼ばれるこの蓮は、つぼみの時は先端がわずかにピンク色を帯び、花が咲くと純白に色を変える可憐な花。
平等院が種の管理まで厳しく徹底している、門外不出の蓮の花です。

現在、平等院では、その他さまざまな研究を進め、復元事業に取り組んでいます。
いつか宇治がまた、楽園として憧憬され、さらに人々を惹きつける日がやってくるかもしれませんね。

取材協力 : 平等院
〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116
電話番号 : (0774)21-2861

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