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京都通

  • 2010/5/29

第180回 宇治上神社『世界遺産に登録された日本最古の現存神社』

1000年間生き延びた、まさに「神の世界」なんどす

1994年、京都市、宇治市、滋賀県大津市の17の名所が、「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されました。
金閣寺や銀閣寺、平等院や二条城といった、名の通る華やかな建築物に並び、「宇治上神社」の名が。
世界遺産に登録された直後は、「どこの神社?」という問い合わせも多かったそうです。

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訪れてみると、境内をぐるっと1周するのに、5分もかかるかどうかの小さな神社。
宮司さんも「世界最小の世界遺産かもしれませんね」と笑います。

しかし、宇治上神社は、建築学的に大変貴重な場所。
現存する神社では、日本最古の建物なのです。

以前より、建築様式から、おそらく平安の建物だろう、と推測されていましたが、2004年、年輪年代法を用いた測定で、本殿は1060年、拝殿は1215年に建てられたことが裏付けられました。
実は、本殿の木材の中に、984年に伐採された木材も使われていることから、本殿が建つ以前に、何か別の本殿建物があったのではないか、とも考えられているそうです。

宇治上神社は、誰が建てたかは定かではありません。
しかし、1060年の建築物だと判明した結果、濃厚になったのが藤原頼通説。
1052年に平等院を建てた人です。
藤原頼通は、死に対する恐怖から、極楽浄土を作り上げようと、平等院を建てたと言われています。

宇治上神社は、そんな平等院から、宇治川をはさんで、ちょうど直線で結べる対岸に位置しています。
宇治川の左岸に平等院、右岸に宇治上神社を造ることで、藤原頼通は、左岸に「極楽浄土」、右岸に「現世」もしくは、「神の世界」を創り出したのではないかと考えられているのです。
1000年間、焼けることなく、朽ちもせず、存在し続けたなんて、まさに「神が住む世界」にふさわしい場所ですね。

火事を防ぐ工夫は、本殿の梁の上に見られる「蟇股(カエルマタ)」にもありました。
蟇股は、上の重みを支えるために古くから用いられた部材のことで、これは板蟇股と呼ばれます。
宮司さんによると、こちらの蟇股は「本蟇股」といって、装飾のために用いられているそうです。

「蟇股」の名前に、火を怖れ、祈る気持ちが込められているのだそうです。
「造の神社仏閣にとって怖いのは火事。
蟇股や、海老虹梁(えびこうりょう。弓なりに曲がった梁のようなもの)、懸魚(げぎょ。破風に付いた飾り)など、水に関係のある名前が多いのは、火事を防ぐおまじないなのです」
とはいえ、まさか1000年も存続するとは、当時の人も思いもよらなかったことでしょう。

無欲な皇子が祀られているんどすえ

宇治上神社には、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を中心に、応神天皇と仁徳天皇が並んで祀られています。
菟道稚郎子という名前は、「宇治に住む男の子」といった意味。
郎子は男性を、郎女(いらつめ)は女性を意味し、異母妹に、「菟道稚郎女」もいることが、『日本書紀』『古事記』に書かれています。

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応神天皇を父に、仁徳天皇を異母兄にもつ菟道稚郎子。
日本一の前方後円墳で有名な仁徳天皇、日本で2番目に大きな古墳に葬られた応神天皇と比べ、菟道稚郎子の名は、知らない方も多いことでしょう。
しかし、応神天皇が最も愛し、継承者となる太子として選んだのは、実は、菟道稚郎子でした。

大鷦鷯尊(おおさざきのみこと。のちの仁徳天皇)は、そんな父の意志を支持し、さらに上の兄が皇位を狙って菟道稚郎子の暗殺を企てた時も、弟を助ける側にまわり、兄を宇治川に沈ませてしまいます。

一方で、菟道稚郎子は、兄こそ皇位を継ぐべきと、応神天皇の死後も即位せず、宇治に離宮を造り、身を隠してしまいます。
二人の譲り合いは決着せず、皇位は空白のまま時は過ぎ、菟道稚郎子が亡くなることで、兄が即位して、「仁徳天皇」になったのでした。

菟道稚郎子は、『日本書記』には自殺、『古事記』には病で亡くなったとあります。
仁徳天皇を徳のある人物に描くために美談として書かれているものの、実は彼が何らかの策略をしたのでは、という説もありますが、今となっては推測することしかできません。

現在、宇治川そばの路傍に、「菟道稚郎子の墓」と彫られた石碑を見ることができます。
仁徳天皇のあの大きな墓と比べて、なんとも小さな石碑ですが、菟道稚郎子の無欲を表しているようで、ほほえましいものがあります。
記紀でも、論語を学ぶ姿が描かれている菟道稚郎子。
宇治上神社には、大変博学だった彼にあやかって、「学業上達」を願う人々が訪れています。

世界遺産で結婚式も挙げられるんどす

小さな神社、と宮司さんも謙遜する神社ですが、見どころはまだまだありました。

鳥居をくぐり、すぐに見えるのは、境内にこんもりと盛られた2つの清めの砂。
毎年9月1日に氏子が奉納した砂を、祝詞をあげてお祓いしたものです。
ここの清めの砂を、住居の四隅に播き、地鎮祭の時には中央、転宅や開店などの時には、玄関や入口にも播き清めることで、邪悪なものの侵入を防ぐと言われています。

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また、お参りをする前に必要なのが、手と口のお清め。
そこで、手水舎を探すと、なんとも立派な小屋を見つけました。
薄暗い小屋の中は、足元までひたひたと水であふれています。
よく見ると、小屋の奥の水が揺らいでいるのがわかります。地下から水が湧き出ているのです。

しゃがんで水をすくってみると、美しく澄んだ水にうっとりします。
この水は、「桐原水」と呼ばれ、宇治の七名水の一つに数えられています。
宇治といえば宇治茶。
茶葉の育成にも、お茶をおいしく煎れるためにも、美しい水は欠かせなかったのでしょう。
現在、他の名水は枯れてしまい、宇治上神社の桐原水しか見て、触ることはできません。

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そんな宇治上神社で、最近人気急上昇なのが結婚式。
世界遺産で挙式ができ、1日1組のみという、ゆったりとした式が行えるのが、人気の理由です。

新郎新婦が朱色の相合傘で境内へ入場すると、出迎えてくれるのが、雅楽士の生演奏。
拝殿でゆっくり30分ほどかけて挙式が執り行われた後は、次のカップルのために急ぐ必要もなく、心ゆくまで境内で過ごすことができます。
式後は、宇治川に繰り出して撮影をする姿も。
他人同士の新郎新婦や親族が、一つの家族として誕生する日に、宇治川の雅な"橋"で記念撮影というのも、二つの家族のつながりを象徴しているようです。

欧米、アジア、南米やポリネシアの島国まで、世界のあらゆる地域の人々が、ここでの挙式を希望し、訪れるほど人気の宇治上神社の結婚式。
ほぼ毎週末に執り行われているので、運が良ければ、最古の神社に白無垢や色打掛といった華やかな衣装が映える姿を鑑賞でき、幸せをお福分けしてもらえるかもしれませんね。

取材協力 : 宇治上神社
〒611-0021 京都府宇治市宇治山田59
電話番号 : (0774)21-4634

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